皆さんにとって、どんなChristmasでしたか?
Christmas当日の25日の昼間、私は今日のカノン年忘れライヴのリハーサルをしていました

リハーサルをやらせていただいている、BEGINの上地くんちには、きゃわいい素敵な暖炉があって、薪に火をくべながら、玉ねぎを焼いたり、蜜のしっかり入った奄美大島のお芋を焼いたり、銀杏を炒めたりしてもらいながら、なんと、リハーサルのあとにクリコのロゼ・シャンパーニュなどを開けていただきつつ、決してラブラブではないながらも、暖か〜い幸せ〜な気分でChristmasを過ごしていたのでした

オトコ2人+ニューハーフ…いえいえ、みっこの3人で

でも…今年のChristmasは手放しで喜べない人も多いのでは…。
そう、それは24日から駆けめぐっているニュース…Christmas Eveに、飯島愛さんがお亡くなりになったと言う訃報。私ならずとも、お知り合いならずとも、誰もがショックを受けるような、悲しい悲しいニュースでした。
時々、なぜ知らない人なのに、こんなに悲しかったり考えられないくらいに落ち込んでしまうような出来事があるのだろう…と思うことがあります。もしかしたら、必要以上に勝手にショックを受けているのでは…などと錯覚してしまうような、そんな状況だったりするのです。それは、普段意識していない自分の奥深いところにある潜在意識をいきなり引っ張り出されるような、忘れていた幼児体験を思い出すような、触れられたような、何とも言えない感覚なのです。
同世代と言うには、まだまだ若い愛さんですが、短い間にたくさんのことを悟ってしまったのかー。「死んでしまったら、どうしようもない。やり直しもきかないし、泣いたり笑ったりすることもできない。二度と愛する誰かに出逢うこともできないー。」そう、賢い愛さんは、きっとそんなこと、誰よりわかっていたはずだからー。ただ、死んでしまったら何もできないとは言え、ご本人の笑顔や声色、話したこと、書いたこと、やってきたこと、その生き様すべてが、音楽のような余韻や波紋となって、私たちの勝手な思い入れによって、鳴り止まない胸騒ぎのようにさざ波立ち続ける言うことだけー。
私みたいな寂しさを、人生の刹那を感じた人、特に女性なのかな、決して少なくないと思います。愛さんが、逢ったことのない私のような者にも、広く愛されていたと言う事実だけが、こんなカタチで浮き彫りになるなんて、「愛」って何なのだろうと…そんな想いだけが、波のように繰り返すのでした。
今年のChristmasは、今までにはないChristmasでしたし、きっと忘れることはないと思います。
愛さんが残して逝った、大きな疑問符を解くには、人生は短すぎるかもしれないけれど、「今、あなたは幸せかどうか?」と尋ねられたら、「幸せ」なのだと、しっかり問いかけられた相手の瞳を見て、答えられると、そうではないといけないのだと、それに気付かせてくれた愛さんでした。
今日は年忘れライヴ。年忘れのもう1つの意味は、忘れないように出来事を振り返り、来年より良くなろうと人が鑑みる日なのだと、改めて気付かされたのでした。
歌うことくらいしかできないけれど、KOKOROを込めて、歌いたいと思います。
職業柄、年末ライブは行けませんでしたが、香音な夜会には必ず行きますので、よろしくお願いします!